【2025年】有名な春祭り一覧!日本の伝統的な春のお祭りといえば

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寒い冬が終わって春が来ると、お出かけしたくなりませんか?

日本には数えきれないほどのお祭りがあります。

そんなお祭りのなかから今回は、特に有名な日本の春のお祭りをご紹介します。

春のレジャーの参考にしてみてくださいね。

 

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目次

春祭りは何月から何月まで?

季節の分け方はいろいろありますが、ここでは気象庁が用いる気象学的な区別で「春」を3月、4月、5月とします。

気象庁では「時に関する用語」として四季を以下のように区別しています。

 

「春」・・・ 3月、4月、5月

「夏」・・・ 6月、7月、8月

「秋」・・・ 9月、10月、11月

「冬」・・・ 12月、1月、2月

 

春夏秋冬の分け方については、以下をご覧ください。

関連:四季(春夏秋冬)の期間はいつからいつまで?季節の区切り方とは?

 

【2025年】有名な春祭り一覧!日本の春のお祭りといえば

それでは、有名な日本の春のお祭りを見ていきましょう!

※日付が2024年のものは昨年の情報です。2025年は分かり次第更新いたします。

 

青森県 弘前さくらまつり(ひろさきさくらまつり)

開催期間:2024年4月12日(金)~5月5日(日)

開催場所:青森県弘前市 弘前公園

外部リンク:【公式】弘前さくらまつり|弘前市観光情報サイト

 

 

弘前さくらまつりは、弘前四大まつりのひとつです。

他三つは、「弘前ねぷた」「弘前城菊と紅葉まつり」「弘前城雪燈籠まつり」です。

9時~20時は露店が出店され、日没後~20時30分は桜のライトアップも行われます。

 

 

江戸時代(1603年~1868年)の1715年に、弘前藩の藩士が25本のカスミザクラなどを京都から取り寄せ、弘前城に植栽したのが弘前公園の桜の始まりです。

このころはまだ「弘前公園」ではなく、弘前城でした。

 

その後も藩士たちが植栽し、明治時代には市民の寄付で桜の数が増えていき、大正時代には夜桜見物が大変賑わったそうです。

大正7年(1918年)に弘前商工会主催の第1回観桜会が開催され、途中で何度か名前が変わったり、戦時中には中止になるなどしましたが、昭和36年(1961年)に現在の「弘前さくらまつり」という名前になりました。

 

弘前公園は、もともとは弘前藩を治めていた津軽家代々の居城だった「弘前城」が基となっています。

弘前城は明治4年(1871年)に陸軍省の管轄となり、明治28年(1895年)に「弘前公園」として一般市民に開放されました。

 

 

桜の見ごろは例年4月下旬ごろです。

桜の花びらがお城の濠の水面を流れていく「花筏(はないかだ)」や、濠を埋め尽くす「桜の絨毯」も見どころの一つです。

 

 

また、弘前公園の「弘前城」は現存天守12城のひとつです。

現存天守については以下をご覧ください。

 

関連:【当時の姿のまま残る】現存天守12城と国宝5城はどこ?城の日のイベント情報 

 

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東京都 三社祭(さんじゃまつり)

開催期間:2025年5月16日(金)~18日(日)

開催場所:東京都台東区 浅草神社、浅草神社周辺

外部リンク:三社祭の日程 | 浅草神社 三社様

 

 

三社祭は、浅草神社の例祭で、毎年5月に行われます。

例祭(れいさい)とは、毎年決まった日に行われる神社にとって最も重要な祭祀のことです。

 

浅草神社

 

浅草神社の正確な創建年は不明ですが、推古天皇(すいこてんのう・第33代天皇、在位593年~628年)の時代まで遡ります。

628年に現在の隅田川で漁の網に観音菩薩像がかかり、それをお祀りし「三社権現社(さんしゃごんげんしゃ)」を作ったのが始まりといわれています。

このころの「三社権現社」は浅草寺と一体化しており、三社権現社と浅草寺のお祭りとして三社祭が行われていました。

 

浅草神社

 

しかし、明治時代の神仏分離(神と仏は別々に祀ること)によって浅草寺と分離して「三社明神社(さんしゃみょうじんしゃ)」となり、その後、現在の「浅草神社」に名称が変わりました。

そして、浅草神社の祭りとして発展していき現在に至ります。

 

三社祭の詳細については以下をご覧ください。

関連:浅草神社の「三社祭」はなぜ三社なの?三社の意味とは?

 

東京都 神田祭(かんだまつり)

開催期間:2024年は偶数の年なので行われません。

開催場所:東京都千代田区 神田明神

外部リンク:神田祭特設サイト

 

神田明神

 

神田祭は、隔年で5月中旬に行われる神田明神の祭礼(さいれい・神社の祭りのこと)です。

隔年なので、西暦が奇数の年に行われます。

2024年の今年は偶数の年なので行われません。

神田祭は江戸三大祭のひとつです。

ほか二つは「山王祭(さんのうまつり)」「深川祭(ふかがわまつり)」です。

 

 

神田祭の起源は定かではありませんが、奈良時代(710年~794年)の730年に神田明神が創建されてからずっと続いてきた祭といわれています。

お祭りの詳細は不明ですが、江戸時代前までは豊作祈願や大量祈願のお祭「船渡御(ふなとぎょ)」という、船に神輿やご神体を乗せて川や海を渡る神事が行われていたそうです。

 

 

大きな祭になったのは江戸時代(1603年~1868年)です。

江戸幕府公認の祭りとなり、江戸城の中まで神輿が入って徳川将軍たちも楽しんだことから「天下祭」と呼ばれるようになりました。

 

 

江戸幕府公認の「天下祭」は2つあり、もうひとつは「山王祭」です。

1681年までは毎年神田祭が行われていましたが、この年から隔年になり、「山王祭」と交互に行われるようになりました。

山王祭は東京都千代田区の日枝神社の祭りで、正式名称は「日枝神社大祭」で、西暦が偶数の年の6月に行われます。

日枝神社については、このあとご紹介する岐阜県の日枝神社のところで解説します。

 

愛知県 犬山祭(いぬやままつり)

開催期間:2025年4月5日(土)、6日(日)

開催場所:愛知県犬山市 針綱神社(はりつなじんじゃ)

外部リンク:犬山祭の歴史 ―犬山祭保存会―

 

 

犬山祭は、毎年4月第一土日に行われる針綱神社の例祭です。

例祭(れいさい)とは、毎年決まった日に行われる神社にとって最も重要な祭祀のことです。

江戸時代の1635年が犬山祭の起源といわれています。

 

 

1635年に犬山城主である成瀬隼人正正虎公 (なるせはやとのしょうまさとら・犬山藩初代藩主)が指示をして、下本町と魚屋町が練り物(ねりもの)を出し、例祭を賑わしたのが犬山祭の始まりという説があります。

練り物とは、趣向を凝らした作り物や仮装などの行列のことです。

1642年には下本町が練り物を変化させ、からくり人形の車山(やま)を作りました。

 

 

一般的に山車(だし・神社のお祭りなどで、引いたり担いだりするものの総称)と呼ばれているものを、犬山祭では「車山(やま)」と呼びます。

犬山祭は、豪華絢爛なからくり人形の車山が有名です。

 

 

その後、他にも多くの町がからくり人形の車山を作るようになり、江戸時代中頃には現在の犬山祭の原型が出来上がっていたといわれています。

 

現在は、愛知県の有形民俗文化財に指定されているからくり人形の車山13輌のほか、3つの町から武者や鉄砲隊などに仮装した練り物が3組登場します。

平成18年(2006年)には、国の重要無形民俗文化財に指定され、平成28年(2016年)に全国33件の「山・鉾・屋台行事」の一つとしてユネスコ無形文化遺産に登録されました。

 

 

針綱神社の創建年は不明ですが、犬山城の守護神とさており、犬山城の天守閣付近にあります。

針綱神社

針綱神社

「犬山城」は現存天守12城のひとつであり、国宝5城のひとつでもあります。

 

現存天守・国宝5城については以下をご覧ください。

関連:【当時の姿のまま残る】現存天守12城と国宝5城はどこ?城の日のイベント情報 

 

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岐阜県 山王祭(さんのうまつり)

開催期間:2025年4月14日(月)、15日(火)

開催場所:岐阜県高山市 日枝神社

外部リンク:春の高山祭(山王祭) | 飛騨高山観光公式サイト

 

 

山王祭は、岐阜県高山市の日枝神社の例祭です。

例祭(れいさい)とは、毎年決まった日に行われる神社にとって最も重要な祭祀のことです。

山王祭は、江戸時代初期の1692年に「40年前から3年ごとに行われている」という記録が残っていることから、1652年にはすでに行われていたと考えられています。

同じく高山市の桜山八幡宮で秋に開催される「八幡祭(はちまんまつり)」と合わせて「高山祭(たかやままつり)」と呼ばれています。

 

 

日枝神社とは、山王信仰に基づいて日吉大社(滋賀県大津市)から分霊された神社の称号で、日本各地にあります。

日吉大社は、全国の日吉大社・日枝神社・山王神社の総本社です。

ご祭神は、大己貴神(おおなむちのかみ)と大山咋神(おおやまくいのかみ)です。

大国主命

大国主命

大己貴神は大国主命(おおくにぬしのみこと)の別名で、縁結びの神様として有名です。

大山咋神の別名は山王権現(さんのうごんげん)、大山祇命(おおやまつみのみこと)、山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)などがあり、農耕をつかさどる神様です。

日吉大社東本宮本殿

山王信仰とは、滋賀県大津市の比叡山麓にある日吉大社で生まれた神道の信仰です。

山王信仰は、大山咋神を主祭神とする古い山岳信仰を源流としており、天台宗の開祖である最澄(さいちょう)が比叡山に延暦寺を建立(788年)したときに、大己貴神と大山咋神を守護神と定めました。

「山王」とは、比叡山を守護する大己貴神と大山咋神の総称で、山王を信仰する山王信仰が、天台宗の教えが広まる時に全国に広まりました。

すでにご紹介した東京都の日枝神社もそのひとつです。

 

 

山王祭では12台の「祭屋台(まつりやたい・屋台と略すこともある)」と呼ばれる山車が豪華絢爛な姿を披露します。

 

夜になると祭屋台がそれぞれ100個に及ぶ提灯を灯して町をゆっくりと巡り、昼間とは違った表情を見せてくれる「夜祭」があります。

祭屋台の上を舞台にし、幾本もの綱を操って台の下から人形を動かす「からくり奉納」もみどころのひとつです。

 

 

山王祭の詳細については、以下をご覧ください。

関連:【2025年】春の高山祭「山王祭」はいつ?祭屋台、からくり奉納とは?

 

滋賀県 八幡祭(はちまんまつり)

開催期間:2025年4月14日(月)、15日(火)

開催場所:滋賀県近江八幡市 日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)

外部リンク:八幡祭 | 日牟禮八幡宮

 

 

八幡祭は、滋賀県近江八幡市にある日牟禮八幡宮の例祭です。

例祭(れいさい)とは、毎年決まった日に行われる神社にとって最も重要な祭祀のことです。

 

八幡祭の起源は定かではありませんが、応神天皇(おうじんてんのう・第15代天皇、在位不明)の時代まで遡るといわれています。

八幡祭ではたくさんの松明に火を灯しますが、これは275年に応神天皇が近江へ行幸(ぎょうこう・天皇が外出すること)され、琵琶湖を船で渡り上陸する際、そこにあった7軒の家がヨシで松明を作って日牟禮八幡宮まで道案内をしたことがルーツになっているといわれています。

八幡祭は毎年4月14日、15日に開催されます。

14日は「松明まつり」といい、20時になると大小200本近くの松明に順番に火を灯し、夜空が赤く染まることから「近江八幡の火祭り」とも呼ばれています。

 

15日は「太鼓祭り」といい、若衆(わかしゅう)と呼ばれる男性たちが大太鼓を肩に担いで順番に宮入り(みやいり)します。

宮入りとは、地域を巡り終えた神輿(八幡祭では大太鼓)が神社の境内に戻ってくることです。

 

奈良県 春日祭(かすがのまつり・かすがさい)

開催期間:2025年3月13日(木)

開催場所:奈良県奈良市 春日大社

外部リンク:日本三大勅祭の1つ。春日祭/春日大社 | 奈良市観光協会サイト

 

 

春日祭は、奈良県奈良市にある春日大社の例祭です。

例祭(れいさい)とは、毎年決まった日に行われる神社にとって最も重要な祭祀のことです。

 

春日祭は三大勅祭(さんだいちょくさい)のひとつです。

あと二つは「京都の葵祭」「京都の石清水祭」です。

 

勅祭(ちょくさい)とは、勅使(ちょくし)が派遣されて行われる祭典のことです。

勅使とは、天皇陛下の使者のことです。

 

春日祭は平安時代(794年~1185年)の嘉祥3年(850年)に始まったとされています。

その後、応仁の乱(おうにんのらん・1467年~1477年)以降は中断されていましたが、江戸時代の永禄年間(1688年~1704年)に簡略化されたものが再興されました。

明治18年(1885年)、明治天皇が春日祭を古い儀式や作法を今に伝える最も重要なお祭りとみなして復興させ、国家の安泰と国民の繁栄を祈る祭事となり現在に至ります。

 

春日祭の詳細については、以下をご覧ください。

関連:奈良の「春日祭」2025年はいつ?由来と歴史とは?

 

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奈良県 東大寺二月堂修二会(とうだいじにがつどうしゅにえ)

開催期間:2025年3月1日(土) ~ 3月14日(金)

開催場所:奈良県奈良市 東大寺

外部リンク:修二会 – 東大寺

 

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修二会とは、一年の間に作った罪を懺悔(ざんげ)し、穢(けが)れを祓い、国家の平安を祈る法会(ほうえ・仏法に関する儀式を行う会)です。

もともと旧暦2月に行われていたのですが、新暦になって月遅れの3月に行われるようになりました。

修二会は東大寺二月堂が大規模で有名ですが、ほかに、薬師寺、長谷寺、法隆寺西円堂などでも行われています。

東大寺二月堂

東大寺二月堂

東大寺の閼伽井屋(あかいや)にある若狭井(わかさい)という井戸から「お香水(おこうずい)」という神聖な水を汲み上げ、仏前にお供えする儀式を行うことから、東大寺二月堂修二会は、通称「お水取り」といいます。

閼伽井屋

閼伽井屋

また、東大寺二月堂の舞台で火のついた松明を振り回す「お松明(おたいまつ)」も有名です。

お松明は、本来は行を始める際に練行衆(れんぎょうしゅう・修二会を行う11人の僧侶のこと)の道灯りとして焚かれたもので小さなものでした。

しかし江戸時代ごろから次第に大きくなり、現在は長さ7m、重さ約40㎏の松明と、長さ8m、重さ約70㎏の大きな松明が使われています。

 

 

東大寺二月堂修二会の詳細については、以下をご覧ください。

関連:修二会・お水取りとは?お松明って何?2025年の日程 

 

京都府 葵祭(あおいまつり)

開催期間:2025年5月15日(木)

開催場所:京都府京都市 賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)

外部リンク:賀茂祭 | 賀茂別雷神社公式Webサイト

葵祭は、正式には「賀茂祭(かもさい・かものまつり)」といいます。

賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)と賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)の例祭です。

例祭(れいさい)とは、毎年決まった日に行われる神社にとって最も重要な祭祀のことです。

 

賀茂御祖神社は通称「下鴨神社(しもがもじんじゃ)」といいます。

賀茂別雷神社は通称「上賀茂神社(かみがもじんじゃ)」といいます。

 

葵祭は三大勅祭(さんだいちょくさい)のひとつです。

あと二つは「奈良の春日祭」「京都の石清水祭」です。

葵祭の起源の詳細は不明ですが、欽明天皇(きんめいてんのう・第29代天皇、在位539年~571年)の時代に始まったといわれています。

賀茂御祖神社と賀茂別雷神社の例祭なのでもともとは「賀茂祭」と呼ばれていました。

平安時代(794年~1185年)中期の貴族の間では「祭」といえば賀茂祭を指すほど、貴族の祭りとして浸透していました。

室町時代(1336年~1573年)になると次第に衰退し、応仁の乱(おうにんのらん・1467年~1477年)以降は中断されていました。

 

江戸時代の元禄7年(1694年)に再興されたあと、葵を社殿や牛車、お祭りの参加者の着物に飾って身につけるようになったことから、「葵祭」と呼ばれるようになりました。

祭に使われる葵は「フタバアオイ」で、賀茂御祖神社と賀茂別雷神社の神紋(しんもん・神社で用いられる固有の紋のこと)でもあります。

 

福岡県 博多どんたく(はかたどんたく)

開催期間:2025年5月3日(土)、4日(日)

開催場所:福岡県福岡市 福岡市内各地

外部リンク:福岡市民の祭り 博多どんたく港まつり モバイルどんたく(モバどん)

写真提供:福岡市

博多どんたくの正式名称は「福岡市民の祭り 博多どんたく港まつり」です。

博多どんたくの源流は「博多松囃子(はかたまつばやし)」というお祭りといわれており、1179年に始まったと伝えられています。

写真提供:福岡市

博多松囃子では、

福禄寿(ふくろくじゅ)・大黒天(だいこくてん)・恵比須(えびす)の三福神に扮した人が馬に乗り

稚児(ちご・祭りの衣装を着た子どもたち)が太鼓を叩いて歌い

博多の人々が町を練り歩き

行く先々で演芸を披露してお祝いをするお祭りでした。

写真提供:福岡市

江戸時代には、福岡城下の人々が藩主の黒田氏を表敬するために、居城である福岡城で正月15日の年賀行事として博多松囃子が行われていました。

明治12年(1879年)には「博多松囃子」が「どんたく」と名前を変え、日露戦争の勝利のお祝いや、大正天皇や昭和天皇の即位など国の祝事でも行われました。

昭和13年(1938年)に戦争のため中止になりましたが、終戦後の昭和21年(1946年)に「博多復興祭」としてどんたくが復活。

翌年の昭和22年(1947年)5月24日、25日に「博多どんたく」が開催されました。

昭和24年(1949年)からは憲法記念日である5月3日、4日が開催日となり、「松囃子どんたく港祭り」という名称になりました。

そして、昭和37年(1962年)には「博多どんたく港祭り」という名称を改め、福岡市民のお祭りとして現在に至ります。

写真提供:福岡市

博多どんたくの詳細については、以下をご覧ください。

関連:博多どんたくのどんたくってどういう意味?しゃもじとお面の意味とは?どこでもらえるの?

 

 

特に有名な春祭りをご紹介いたしました。

春日祭や東大寺二月堂修二会のようにまだまだ寒さを感じる時期に行われますし、博多どんたくはポカポカ陽気で汗ばむくらいの時期のお祭りもありますね!

春は、昼間は暖かくても、朝夕は寒さを感じることが多い時期です。

春祭りにお出かけの際は、気温の変化に対応できる恰好をして楽しんでくださいね!

 

関連:【縁日一覧】本当の「縁日」の意味とは?「縁日」と「お祭り」の違い

関連:「神社」と「お寺」の違いを簡単に説明します!

 

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