「紀元節」や「皇紀」という言葉を聞いたことはありますか?
「紀元節」は、現在は別の呼び名になっており、多くの日本人が「その日なら知っているよ!」と答えると思います。
また、今年は皇紀何年なのでしょうか?
今回は「紀元節」や「皇紀」についてわかりやすく解説します。
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紀元節とは?現在の呼び名は?
紀元節の読み方は「きげんせつ」です。
「古事記(こじき・712年)」や「日本書紀(にほんしょき・720年)」では、紀元前660年2月11日に日本の初代天皇である「神武天皇(じんむてんのう)」が天皇に即位なさったとされています。

そして、その日を日本の紀元(国が始まった日)と決めたのが「紀元節」で、明治5年(1873年)に制定されました。
明治維新の後、日本は近代国家になるべく諸外国をお手本に様々な制度改革を行っていました。
そして、西洋諸国が、国の紀元に当たる日を祝日としていたため、それに倣(なら)い、紀元節という祭日を制定したのです。
初代天皇である神武天皇が即位された日を日本の紀元と定め、祭日にすることで、天皇を中心とした国であることを国内外に誇示する目的があったといわれています。
祭日とは、皇室や神社などで重要な祭祀が行われる日のことですが、戦後の昭和22年(1947年)、GHQ(連合軍総司令部)は皇室と神道のつながりをなくすため、廃止となりました。
その後、紀元節を復活させようとする機運が高まったため、建国を記念するための祝日を設けることとなり、昭和41年(1966年)に「紀元節」から「建国記念の日」と名前を変え、翌年の昭和42年(1967年)から国民の祝日として適用されたのです。
ということで「紀元節」は、現在「建国記念の日」となっているんですね。
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2024年の今年は皇紀何年?
2024年は「皇紀2684年」です。
現在私たちは「西暦」を使っています。
「西暦」は、イエス・キリストが誕生した年を「西暦元年」とする西洋の暦のことです。
西暦とは別に、日本では「元号(げんごう)」も使っていますね。
元号とは、特定の年代に付けられる称号のことで「年号(ねんごう)」と呼ばれることもあり、飛鳥時代(592年~710年)に元号が使用されるようになったといわれています。
日本で最初の元号は「大化(たいか)」で、645年7月17日~650年3月22日までです。
その後、長い歴史の中で数多くの元号が生まれ、現在の「令和」に至ります。

「皇紀(こうき)」とは、神武天皇が天皇に即位なさった年を紀元とする暦のことです。
明治5年(1873年)に、紀元前660年を皇紀元年とすることが定められました。
ですので皇紀が使用されたのは、明治5年以降ということになります。
それ以前、日本では元号を使用していました。
室町時代後期から安土桃山時代にあたる16世紀にキリスト教の宣教師によって西暦がもたらされましたが、一般的に広まることはなく蘭学者などが認識していた程度だといわれています。
そして、江戸時代(1603年~1868年)の1614年、禁教令(キリスト教禁止令)によってキリスト教が禁止されたため西暦の使用も禁止されました。

皇紀2600年(1940年)を記念して建てられた八紘之基柱
その後、明治5年(1872年)に西洋に合わせるために太陽暦(グレゴリオ暦)を用いるようになり、再び西暦が使用されるようになりますが、西暦が一般に普及し始めるのは第二次世界大戦後です。
戦前は、国外向けなど対外的な公文書でも西暦は使用せず皇紀と元号を使用し、国内向けの公文書などでは明治・大正時代は元号のみを使用していましたが、昭和になってからは皇紀を多用するようになりました。
そして、戦後になると西暦と元号が一般的に使用されるようになり、皇紀はほとんど使用されることはなくなりました。
現在、皇紀は一部の日本文学や日本史の愛好家、神道の関係者、全日本居合道連盟などが使用している程度です。

紀元節と皇紀がどういうものがわかりましたね。
紀元節が定められ、紀元前660年を皇紀元年と決められたのも明治時代になってからです。
そして、戦後は西暦が一般的に使用されるようになったので、皇紀が使用されていた期間は短いのですね。
建国記念の日である2月11日には、紀元節という祭日や皇紀があったということを少しだけ思い出してみてくださいね。
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